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横浜地方裁判所 昭和42年(ワ)1252号 判決

原告

鈴木てる

ほか三名

被告

奥山建設株式会社

ほか二名

主文

被告奥山建設株式会社、同成田政司は、各自、原告鈴木てるに対し金二、七四三、二一六円、原告鈴木千津子、岡鈴木庸彦、同鈴木由樹子に対し各金一、八七〇、四七六円及び右各金員に対す

昭和四二年八月二七日以降完済迄年五分の割合による金員を支払え。

原告らの被告小玉孝悦に対する請求及び被告奥山建設株式会社、同成田政司に対するその余の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告らと、被告奥山建設株式会社、同成田政司との間に生じた分は同被告らの負担とし、被告小玉孝悦との間に生じた分は原告らの負担とする。

この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告奥山建設株式会社(被告会社という)及び被告成田政司(被告成田という)は連帯して、被告小玉孝悦(被告小玉という)は単独で、それぞれ原告鈴木てる(原告てるという)に対し金二、七六〇、三四六円、原告鈴木千津子(原告千津子という)、同鈴木庸彦(原告庸彦という)、同鈴木由樹子(原告由樹子という)に対し各金一、八八一、八九七円及び各金員に対する昭和四二年八月二七日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決と仮執行の宣言とを求め、請求原因を次のとおり述べた。

一、被告成田は、被告会社に昭和四一年六月より勤務し、自己所有の中型貨物自動車(四一年型三菱ジュピター、登録番号横浜一さ三、三五一号、被告車という)を用いて、被告会社のため、建材類、工事用材等の運搬作業に従事していたものであり、被告小玉は被告会社に於て、被告成田を直接指揮監督する地位にあるものである。

二、被告成田は、昭和四一年一二月一八日午後八時三〇分頃より午後九時二五分頃迄の間、鎌倉市山崎所在の飲食店「カッパ」で被告会社に勤務する同僚の土工、訴外高橋勇三(訴外高橋という)及び訴外渡辺幸蔵(訴外渡辺という)と共に飲酒し、相当酔つていたので訴外渡辺から自動車の運転をしない方がよいと制止されたにもかかわらず、聞き入れないで、訴外高橋、同渡辺の両名を被告車に同乗させて自らこれを運転し、舗装された幅員約三・四九メートルの道路を、大船方面から鎌倉方面に向け時速約四〇キロメートルの速度で進行した。そして、同日午後九時三二分頃に至り、鎌倉市山崎一、一〇〇番地先道路上に差しかかつたところ、右道路の左側を被告車と同方向に向け、足踏自転車(原告車という)に乗つていた訴外鈴木重次(当時四七歳、訴外重次という)を、前方約三〇メートル先に認めたのであるが、道路が前記のように狭いのであるから、直ちに減速徐行し、警音器を吹鳴して被告車の進行を知らせると共に、原告車の動静を十分注意し、これと十分な間隔を保つてその側方を通過すべき注意義務があるのに之を怠り、前記のように飲酒していたため正常な運転が出来ず、更に右同乗者二名と雑談していたため、注意力も散漫となり、同人の動静注視不十分のまま前記速度で進行したため、訴外重次に被告車左側部を接触させて、同人を路上に転倒せしめ、又接触転倒させたことに気付き、一旦被告車を停車させながら、道路交通法第七二条第一項前段により被害者を救護すべきであるにもかかわらず、救護しないで、再び被告車に乗つて立去つてしまつた。よつて、同人をして翌一九日午前一〇時七分頃鎌倉市大船五六〇番地大船中央病院に於て、頭蓋内出血により死亡せしめたものである。

三、被告車の荷台の側面には「奥山建設(株)」と記載されており、現実にも被告車は専ら被告会社のため使用されていた。しかもこれを運転していた被告成田は被告会社と雇傭関係があるから、被告会社は自動車損害賠償保障法(自賠法という)第三条、民法第七一五条第一項により損害の賠償をしなければならない。又、被告成田は民法第七〇九条により、損害を賠償すべきであり、被告小玉は同成田を直接指揮監督する地位にあるもので昭和四一年一二月一九日原告らに対し、本件交通事故により生じた被告成田の損害賠償債務について重畳的債務の引受を為したのでこれが約旨にもとずき損害を賠償する義務がある。

四、訴外重次は、大正八年九月二九日生れで、昭和二一年より日本国有鉄道大船工場に二〇年間勤務し、昭和三九年中は一年間に合計金六七七、一九七円、昭和四〇年中は一年間に合計金七八七、〇八七円、昭和四一年中は本件交通事故発生迄に合計金八九一、三三三円の各給与所得があつた。若しこのまま、本件交通事故がなくて満五五歳の停年迄勤続すれば、昭和四二年中は金九七六、二四二円、昭和四三年中は金一、〇一六、二七八円、昭和四四年中は金一、〇四七、八〇九円、昭和四五年中は金一、〇七一、〇〇七円、昭和四六年中は金一、〇九六、一五二円、昭和四七年中は金一、一一九、四〇四円、昭和四八年中は金一、一三九、八六三円、昭和四九年中は金一、一五三、四三七円、昭和五〇年には金二六六、一九七円、以上合計金八、八八六、三八九円の給与所得が得られ、更に、昭和五〇年三月の停年退職時には金二、九八二、六六〇円の退職手当金が支給される筈である。右の将来の得べかりし利益の金額は、いずれも最終給与額を基準にして、年令と勤続年限の上昇に従つて算出したもので、毎年年中行事の如く行われている所謂春闘等による臨時昇給額を考慮に入れると更に高額となるのである。

又、訴外重次は、国鉄退職後も、平均就労可能年限までの間、再び他へ就職して収入を得ることができ、その期間は少くとも一〇年間あり、その間の総収入は金一〇、〇〇〇、〇〇〇円を下らないものである。

しかして、訴外重次の生活費は多くとも右得べかりし給与の五分の一であるから、残りの五分の四についてこれが利益を喪失したことになる。

依つて、訴外重次の国鉄在職中の得べかりし給与についてその中間利息を控除して現在価を算出すると合計金七、二一九、五〇五円となるから、本人の生活費を控除すると、金五、七七五、六〇四円となる。

更に、昭和五〇年三月に得る筈の退職金手当の中間利益を控除すると、金二、一三〇、四三五円となる。よつて、以上得べかりし利益の喪失額の合計は金七、九〇六、〇三九円である。

五、原告てるは訴外重次の妻として、得べかりし利益の喪失額の三分の一に当る金二、六三五、三四六円を、その他の原告は同人の実子として、その余の各三分の一づつの金一、七五六、八九七円をそれぞれ相続した。

六、原告てるは、訴外重次を喪つて以来、家庭の主婦として安閑としておられなくなり、他へ働きに行つて生活を維持せざるを得なくなつた。

原告千津子は、結婚適令期を前にして大切な相談相手を失い困却している。原告庸彦は、昼間の高等学校在学中であるが、訴外重次が生存していれば、高等学校卒業後も昼間の大学に入学、通学することもできたが、本件交通事故により昼間の大学へ行くことは不可能となつた。学友は遊興費を稼ぎ出すためにアルバイトをしているが、原告庸彦は学費を捻出するためアルバイトをしている次第で、この間高等学校を卒業するまで昼間部で勉学することも困難になつている。

原告由樹子は現在は小学校在学中であるが、訴外重次が生存していれば、中学校卒業後は昼間の高等学校へ通学させて貰えるのであるが、本件交通事故のため中学卒業後は就職して働かなければならないことが予想される。

その他、原告らが将来到来する人生の各種の問題について大切な相談相手を喪つた精神的な打撃は、筆舌では尽し得ないところであり、之が慰藉料として最低各金五〇〇、〇〇〇円を支払わるべきである。

七、原告てるは、本件交通事故による訴外重次の治療費として合計金二一、九三〇円を前記大船中央病院に支払つた。

而して、原告らは自動車損害賠償責任保険から金一、五二一、九三〇円を受領したので、内金二一、九三〇円は右治療費に充当し、残金一、五〇〇、〇〇〇円を原告ら四名において慰藉料の内金にそれぞれ金三七五、〇〇〇円づつ充当した。

八、そうすると、原告てるは、前記相続分の金二、六三五、三四六円と慰藉料の残金一二五、〇〇〇円合計金二、七六〇、三四六円、その他の原告はそれぞれ前記相続分の金一、七五六、八九七円と慰藉料の残金一二五、〇〇〇円合計金一、八八一、八九七円、並びに、本件訴状送達の翌日である昭和四二年八月二七日以降完済に至る迄民法所定の年に分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴請求に及んだ次第である。

〔証拠関係略〕

被告会社、同小玉は、「原告らの請求をいずれも棄却する。」との判決を求め、原告らの主張する請求原因事実はすべて争う。被告小玉は独立した労務請負業者であり、被告成田は、工事材料、機械類、土砂等を運送する独立の運送人であると述べた。

被告成田は、「原告らの請求をいずれも棄却する。」との判決を求め、原告らの主張する請求原因事実はすべてこれを争うと述べた。

〔証拠関係略〕

理由

一、〔証拠略〕によると、原告らの請求原因二の記載のとおりの事実(注意義務の点を除く)を認めることができる。

二、自動車の運転者たる者は、道路が狭い場合には、直ちに減速徐行し、警音器を吹鳴して後進車たる自動車の進行を知らせると共に、前進者たる自転車の動静を十分注意し、これと十分な間隔を保つてその側方を通過すべき注意義務があるところ、右認定のとおり、被告成田は右注意義務を怠り、時速四〇粁の速度で漫然進行したのであるから、これに過失があること明白である。従つて、被告成田は民法第七〇九条による不法行為者として原告らの蒙つた損害を賠償しなければならない。

三、被告会社の責任

〔証拠略〕によると次の事実を認めることができる。

1  被告成田は、昭和四一年六月頃から被告会社の仕事を下請するようになつて以来、被告会社の飯場に住みこんでいた。本件交通事故の発生する約一ケ月前(昭和四一年一一月中旬)から、寝泊りする部屋を別に借りたが、なおも常時、右飯場に来て食事をしたり酒を飲んでいた。

2  被告成田は、被告会社に保証人となつてもらつて、被告車を月賦で買い、車体に奥山建設(株)の文字を書き、ほとんど専属的に被告会社の残土や砂利の運搬を下請していた。

3  被告成田は、被告会社の下請仕事の遅れについて、被告会社の世話役の仕事をしている訴外栗山から注意を受ける立場にあつたこと。

一般に下請人か他人に加えた損害について、請負人は当然にその責任を負うものではないが、右認定のように、下請負がほとんど専属的で、下請の仕事について監督をなし、自動車購入についての保証人となり、或は飯場の使用を許るしているなど、実質的な結びつきが強い場合には、請負人たる被告会社は下請人たる被告成田が原告らに加えた損害についても被告車の運行供用者として、自賠法第三条による責任を負わなければならない。

四、被告小玉の責任

原告らは、被告小玉が重畳的債務の引受をなしたものと主張するが、これを立証するに足る証拠はない。

却つて、〔証拠略〕によると、被告小玉は原告らに対し、できるだけ儲かる仕事をさがしてこれを斡旋し、被告成田が損害を賠償しやすいように応援する旨話したことはあるが、重畳的に債務を引受けたことはないということが認められる。従つて、原告らの被告小玉に対する本訴請求は理由がないと云わなければならない。

五、損害

1  得べかりし利益

〔証拠略〕によると、訴外重次は大正八年九月二九日生れで、昭和二一年から日本国有鉄道に就職し、本件交通事故発生当時は大船工場に勤務していたこと、本件交通事故がなく満五五才の停年迄勤務したとすれば別表のとおり合計金八、八八六、三八九円の給与と、昭和五〇年三月の停年退職時に、金二、九八二、六一〇円の退職手当金が支給されることが認められる。

而して、ホフマン式計算により別表のとおり現価を計算すると、給与合計は金七、二四七、〇九五円、退職手当金は金二、〇五六、九七二円となる。

そして、訴外重次の生活費は給与額の五分の一と評価できるからこれを控除すると金五、七九七、六七六円となる。弁護の全趣旨によると、訴外重次は満五五才の停年後もなお一〇年間は勤労できるものと認められるから退職手当金からは生活費を控除しない。

そうすると、訴外重次の得べかりし利益の総額は金七、八五四、六四八円となる。

2  相続

〔証拠略〕によると、原告てるは訴外重次の妻として、その三分の一に相当する金二、六一八、二一六円を、その他の原告らは実子として、それぞれ、その九分の二に相当する金一、七四五、四七六円を相続したものと認められる。

3  慰藉料

原告らが、本件交通事故によつて訴外重次を失つた精神的打撃は言語に絶するものである。事故の状態その他諸般の事情を斟酌すると、原告らに対する慰藉料は各金五〇〇、〇〇〇円が相当である。

4  保険金の充当

〔証拠略〕によると、原告らは自動車損害賠償責任保険から受領した保険金のうち金一、五〇〇、〇〇〇円を、原告ら四名において慰藉料の内金にそれぞれ金三七五、〇〇〇円づつ充当したことが認められる。従つて、原告らの慰藉料残額は金一二五、〇〇〇円である。

六、そうすると、被告会社と被告成田は、各自、原告てるに対し相続による金二、六一八、二一六円と慰藉料金一二五、〇〇〇円の合計額金二、七四三、二一六円、その他の原告らに対しそれぞれ、相続による金一、七四五、四七六円と慰藉料金一二五、〇〇〇円の合計額金一、八七〇、四七六円、並びに右各金員に対し本件訴状送達の翌日である昭和四二年八月二七日以降完済に至る迄、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて、原告らの被告会社と被告成田に対する本訴請求は、右の限度において理由があるからこれを認容することとし、その余は理由がないから棄却する。又、原告らの被告小玉に対する本訴請求は、前記のとおり理由がないからこれを棄却する。

訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条但書、第九三条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石藤太郎)

別表

〈省略〉

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